まっちゃんの桜の木陰日記

自然豊かな富山を舞台にランニング、サイクリング、そしてカイロプラクティックを施すミドルエイジアスリートの日記

大会ボランティアってこんなに大変なんだね!

宣言してた通り、「信越五岳トレイルランニングレース」の大会ボランティアに参加してきました。トレイルランナーにとって憧れであり、評価も高いこの大会。その裏方を支える一員として、今回はその舞台裏に協力してきました。でも、予想してたより物凄くタフな経験でしたね。

 

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信越五岳といえば雨のイメージがつきまとうほどで、天候に恵まれないことが多いんですが、今回はご覧の通りの青空でした。レース前のブリーフィングも外で行われるくらいの陽気。ただ、あまりの好天で当日は暑さにやられたランナーも多くいたようです。季節もずいぶん涼しくなってきたから、暑さ対策をしっかりとってきた人って少なかったんじゃないかなぁ…。

 

さて、今回私が受け持ったのは2箇所の誘導係です。ありがたいことに、2箇所共に車での移動なので、膝を心配することはありませんでした。ただ、昼間と夜の寒暖差が激しく、ウェアの調節が難しかったですね。念のためにと用意した化繊ジャケットは持って行って良かったです。これがなかったら2日目の夜なんて寒さで死んでましたね。

 

1箇所目は70㎞地点手前のロード区間でした。信越五岳はトレイル率が高いコースなので、ロード区間はある意味貴重です。さすがに上位でくるランナーはこの辺りではほとんど歩きません。軽快に、そして颯爽と駆けていきます。去年の自分はこの辺り、胃腸がやられてきつかったな…なんて思い出していました。上位選手の、夜が開ける前にここを通過できる走力が羨ましい!

 

この地点のボリュームゾーンは夜が明けてから。この辺りの順位だと歩く選手も多くなってきました。表情は明るいんだけど、足が動かない…って感じの人が多いのかな?でも、おそらく誘導してる自分らを見て、その場だけ表情を崩すのでしょう。1人で前進してる時はやっぱりキツいと思います。私もそうですもん。

 

およそこの地点での誘導は8時間。最後尾のランナーとスイーパーの通過を確認したあと、周辺のコーンと案内板を撤収して、車に詰め込みます。そんな作業を同じ班の4箇所で行い、回収地点へ返却した頃はもう午前10時頃でした。班員にも疲労の色が濃くなってきて、待機時間ではつい寝落ちしてしまう場面も。選手は確かにキツいだろうけど、ボランティアも大変です。弁当を受け取り、宿に戻ったのは11時半頃でした。弁当食べてシャワー浴びて、午後7時までが自由時間ですが、もちろん仮眠をとります。陽も高いので熟睡は難しいのですが、ここで寝ておかないと絶対に2日目も夜は持ちません。

 

さて、2日目の夜は戸隠エイドを経由して、信越五岳レースのラスボス、瑪瑙山に向かいます。ここを明るいうちに通過できるのはほんと一握りのトップランナーのみ。ほとんどのランナーがゴール手前12〜3㎞地点のここを死力を尽くして進みます。

 

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私は瑪瑙山から降りてきた地点での誘導係でした。私のいる場所からは瑪瑙山の山頂まで見通しが良いので、山を下ってくるランナーが照らすヘッドライトの光が帯状に連なって見えます。ここで脚を残してるランナーは降りてくるスピードも速く、こちらからの声掛けにもハイテンションで応じてくれます。逆に脚を残していないランナーはトボトボと降りてきて、呼び掛けにもやっとという感じですね。

ここでの誘導は5時間ほど。深夜の寒さはそれなりに堪えましたが、この地点だと100マイルと110㎞のランナー、そしてそれぞれのペーサーもいるので、次から次へと通過していくランナーに声を掛けていたおかげで時間は短く感じました。声出していると寒さも凌げたかな…。

 

私が担当してた地点は、ゴール制限時間の1時間半前(深夜2時)までに通過しないと、時間内完走がかなり厳しくなる設定です。もちろんそれ以降にやってくるランナーもいるわけなんですが、彼らに「このまま進んでも厳しいです。ここでリタイアならば搬送できます」と伝えることもしました。しかしほとんどのランナーが一様に、「ここまで来たから、行けるところまで行きます!」の返事でした。簡単にはギブアップしない姿勢がどのランナーからも感じられます。そう、簡単には諦められないですよね。ただ、その判断がボランティアや大会関係者に負担を強いるのも事実なんですよね。そんなことを学べたのも収穫だったかな。

 

深夜3時頃にはスイーパーの通過を確認して撤収、そしてゴール地点に道具を返します。疲れと眠気、車酔いで帰りの車内は中々に辛かったですが、夜明け前には宿に戻れました。ここで班員とは解散、2日間のボランティア活動がなんとか終了しました。

最後に班長から「今回ボランティアで参加してくださった皆さん、来年は優先権あるんでランナーとして出てくださいね」との労い⁈の言葉が…うーん、まだ足が治ってないから断言できないけど、それならば110㎞で出ようかな…?