まっちゃんの桜の木陰日記

自然豊かな富山を舞台にランニング、サイクリング、そしてカイロプラクティックを施すミドルエイジアスリートの日記

憧れ続けた100マイラーの夢を叶えた信越五岳2018④(妙高〜笹ヶ峰)

妙高青少年自然の家からの先のルートは昨年と少し異なり、藤巻山への登りが無くなり、代わりに麓の高原を回るルートになりました。高低差が多少緩和され、タイムを削るチャンスです。自然の家エイドで、おにぎりやスープでの補給がうまくいった私は、この区間は結構頑張りました。後で確認できたことなんですが、ここから赤倉までの区間で約20位くらい順位を上げています。バンフ以降、抜かれることが多かったですが、ようやくここに来て抜くことが多くなってきました。上級者コースのゲレンデ直登など、心が折れそうになる場面にも出喰わしながらも、なんとかこの区間、昨年よりも約30分速いタイムで乗り切れました。藤巻山カットの恩恵はあったでしょうが、我ながら見事な復活です。

 

f:id:kotobuki_matsu:20180927224642j:image

急登を登りきってからゲレンデを約4㎞ダウンヒル。これがとてつもなく足に負担を掛けましたが、ここを下ると赤倉のエイドに到着です。ここで休めたからいいですが、降りてきた直後は足ガクガクでした。

ここでは昨年同様、私の彼女がアシスタント応援です。事前に私がリクエストしてたお粥を用意してくれてました。暖かくて消化に優しく、エネルギー補給にも優れたお粥は、胃腸トラブルを経験した私でも食べることができます。一方、エイド名物であるラーメンは匂いがキツくて食べられる気がしませんでした。ここではこのお粥とカロリーメイトゼリーを食べさせてもらい、一気に元気が出てきました。あと、彼女に少し弱音を吐けたのもスッキリできた感じです。「今すぐ横になって寝たい」なんて言いましたが、「きっと回復するからこれ飲んで!」と胃薬と鎮痛剤を渡されました…。頼りになります!

 

赤倉から次の黒姫エイドまでは比較的フラットな区間が多いです。胃薬を飲み、お粥で胃腸にも負担を掛けずに補給ができた私はさらに順位を上げます。この区間では約25人をパス。途中で110㎞のランナーと合流し、コース上の密度が一気に高くなりましたが、渋滞するほどではなく気持ちよく走れました。

この辺りで合流する110㎞のランナーは真ん中より下位の部類と思われ、やはり歩いてる方が多いです。そしてこれはあくまでも私の印象ですが、一度パスした110㎞のランナーが再度抜いてくることはほとんど無かったように思います。それに対して100マイルのランナーは、一度私が前に出ても、こっちが歩いたりするとすぐに抜き返してくる印象でした。100マイルのランナーはやはりツワモノ揃いということでしょうか。

 

黒姫到着は昨年よりも約1時間10分の遅れでした。ようやくここまで挽回してこれました。さてこの信越五岳のレースは、ここ黒姫と次の笹ヶ峰エイドの関門が難関と言われています。特に笹ヶ峰の関門は黒姫から2時間後の関門設定で、この区間ははっきり言ってよっぽどのトップランナーでないと2時間では通過できません。従って黒姫をある程度余裕持ってクリアしないと、笹ヶ峰で関門アウトになってしまいます。私が黒姫エイドを出発したのが関門の1時間15分前。つまりは笹ヶ峰まで3時間15分で行ければ間に合う計算です。昨年は黒姫がゴールだったので、ここから先の未知のルート。なのでどの程度かかるかは予想しずらかったですが、おそらくは大丈夫かな?と8割方安心していました。体力も問題なかったし…

 

結果的にこの区間、私は2時間40分を要しました。笹ヶ峰到着はなんと関門の25分前!先回りしてた彼女からは「まさか間に合わないんじゃないかと思ったよ」と心配されました。実はこの区間笹ヶ峰エイド手前2㎞の地点に吊橋があり、この吊橋は同時に2人までしか渡れないのです。この橋を渡る順番待ちのため約30分は待ったでしょうか?順調に進み続けてたのに、行く先に行列を見つけた時は本当に絶望しました。「まさかこんな事でアウトになるなんて…」と肝を冷やしましたね。私の前後のランナーも焦りは一緒で、「ヤバい!次が間に合っても、ゴールがキツくなる…」と不安を口にします。後方からは「関門の救済措置はないの?」とスタッフに詰め寄る場面もありました。確かにこんな事でリタイヤになれば泣くに泣けません。なんとか私は30分のロスで済みましたが、ここで涙を飲んだランナーは多かったんじゃないでしょうか?

 

ともあれ笹ヶ峰に無事到着した私。ここの関門を越えれば一気に時間内完走が見えてきます。とはいえ、まだ50㎞近くを残していますし、日没が迫り2度目の夜間走が始まろうとしていました。周りからも「時間ギリギリだなぁ」話す人が多く、焦りが伝わります。完走に向けた本当の戦いが始まろうとしていました。